老舗や人気ブランドのデザイナー交代が続くパリ・コレクションで、中国系デザイナーの起用が目立っている。欧米育ちの20~40代が中心で、中国系の活躍はパリ・コレ史上では初めてのこと。先進国で高級品市場の拡大が頭打ちになってきた中で、中国をはじめとする新興市場に活路を見いだそうとの狙いもあるようだ。
今春のパリ・コレでひときわ注目されたのは、中国系米国人アレキサンダー・ワン(29)が初めて手がけた老舗バレンシアガのショーだった。会場は、創始者の時代から続くアトリエ兼本店。招待客が200人足らずの静かな雰囲気の中で、ブランド伝統の素材や形に、大胆な大理石柄などでひねりを加えた作品が並んだ。
「ブランドの象徴や決まり事を尊重しながらも、何か亀裂を入れて静を動に変えようと思った」。ショー直後の舞台裏で、ワンはそう語った。「いま生きている、という感じを出したかったんだ」
米西海岸生まれで、05年に自らのブランドを設立した。ニューヨーク・コレクションでも注目株の一人だ。ニューヨークに続いて昨年は北京にも開店。今年はアジアを中心に出店を続ける予定だ。ワンは、中国でも時代の花形として広く知られている。
バレンシアガは、オートクチュールで出発したパリで最も正統的なブランドの一つ。ワンの作風は、パリ風のエスプリ感を重視したフランス人の前任者とはかなり違う。
現地紙は「若さの衝撃」と報じ、ブランドの親会社ケリング・グループ、フランソワアンリ・ピノー会長の「若々しいスポーティーな感覚で、バレンシアガをもっと近づきやすいブランドにしてほしい」との談話を紹介した。
パリを代表するもう一つのブランド、ソニア・リキエルも、中国系のジェラルド・ダ・コンセイソゥ(44)を起用し、お披露目ショーを開いた。「ニットの女王」の異名を持つ創始者の作風を生かした、色彩豊かなニットウエアをずらりとそろえた。
コンセイソゥは、マカオ生まれのカナダ育ち。20年前からは主にパリに住み、イヴ・サンローランなどを経て現職に就いた。「リキエルの思想や人柄、業績に思いをはせつつ、多忙な中で複雑な感性を持つ現代のパリジェンヌをイメージして仕上げた」という。
ソニア・リキエル社は昨年、香港の投資グループ傘下に入った。中国系デザイナーの増加について、コンセイソゥは「言葉や考え方でいえば、自分の中身はヨーロッパ人。よりグローバルになった現代社会で、私自身のキャリアが登用につながったと思っている」と話した。
一方、ケンゾーは2年前にデザイナーが中国系と韓国系の米国人2人に代わり、人気が急上昇している。高田賢三が創設し、現在はLVMHグループ傘下のブランドだ。今回の新作は、中国やインドなどの古代の神殿にヒントを得たオリエンタルスタイル。
デザイナーのウンベルト・レオン(37)とキャロル・リム(38)は、セレクトショップも運営している。彼らも「服作りの経験は少なくても何でもできる、という意識は、僕らが米国人だから」と語る。彼らも含め最近活躍し始めたアジア系デザイナーの親の多くが縫製工場などを経営しているという。中国系の躍進について、「幼い頃からファッション的なビジネス感覚を鍛えられたからという理由もあるのでは」と指摘する。
パリ・コレでは、1980年代に日本人デザイナーが、90年代には米国人デザイナーが活躍し、大きな影響を残した。パリ・コレ主催協会のディディエ・グランバック会長は「三宅一生や山本耀司、川久保玲らは、独自の革新性でパリのファッションの潮流を変えた。その新しい形が、衣服というものを進化させたのだが……」と話す。
いま頭角を現している中国系デザイナーたちの作風は、スポーティーでやや粗いシンプルさに魅力がある。それは将来、時代を大きく動かすような力になるのだろうか。
中国系デザイナー起用の動きは、パリのビッグブランドだけでなく、近年新たに中国や中東などの企業グループが最先端のファッション市場に参入し、競争が激化していることも背景にある。そんな切羽詰まった状況での生き残り戦略が先行しているようにも思える。(編集委員・高橋牧子)